量子力学と進化論の矛盾:ドーキンスとホーキングが逃した「観察者」という問い
現代科学はCPUを入れ替えたが、他の学問はそのままだった コンピューターのCPUを最新型に交換すると、一体何が起こるだろうか? メモリも変わり、オペレーティングシステム(OS)もアップデートされる。 プログラムも新しいバージョンに合わせて修正される。 もしCPUだけが変わり、残りがそのままであれば、コンピューターは正常に動作しない。 学問も同様だ。 20世紀の物理学は、人類史上最も巨大な革命を経験した。 相対性理論。 そして量子力学。 この二つの理論は、ニュートン以来300年間当然のように信じられてきた世界観を根本から揺るがした。 ところが、奇妙なことが起きた。 物理学は変わったのに、 進化論はそのままだ。 宇宙論もそのままだ。 死の定義もそのままだ。 意識の研究も大きく変わっていない。 まるで最新のCPUを搭載したコンピューターに、30年前のOSをそのまま使用しているかのようだ。 私はこれを「学問のドミノ崩壊(ドミノ失敗)」と呼んでいる。 リチャード・ドーキンスとスティーヴン・ホーキングが残した問い リチャード・ドーキンスは生命の起源を自然選択(自然淘汰)で説明しようとした。 スティーヴン・ホーキングは宇宙の始まりを物理法則だけで説明しようとした。 二人の共通点は明白だ。 宇宙と生命は、神がいなくても十分に説明できるということだ。 彼らの業績は現代科学に多大な影響を与えた。 しかし、ここには一つの重要な問いが残されている。 量子力学は、果たしてこのような世界観と完全に両立し得るのだろうか? 量子力学が世界に投げかけた最大の問い 多くの人は量子力学を「小さな粒子の学問」だと考えている。 しかし、それは半分だけ正しい。 量子力学が投げかけた最大の問いは、粒子ではなく「観察者」である。 簡単な比喩を挙げてみよう。 ゲームの中の世界を想像してほしい。 主人公が見ている画面だけが、実際にレンダリング(描画)される。 見ていない場所はデータ状態のまま残っている。 もちろん、実際の宇宙がゲームだという意味ではない。 しかし、この比喩は量子力学において「観察」がなぜ重要なのかを理解する助けになる。 量子力学では、測定と観察の意味を巡って様々な解釈が存在し、観察者の役割は今も現代物理学の核心的な論争の一つである。 つまり、 20世紀以降の物理学は、もはや「物質さえあればすべてが説明できる」という単純な世界観にとどまっていない。 それなら、進化論とビッグバンも再考すべきではないか? ここで興味深い問いが登場する。 物理学の最も深い場所で観察者の問題が提起されたのであれば、 その上に築かれた進化論や宇宙論もまた、新たな問いを突きつけられるべきではないだろうか? これは進化論が間違っているという意味でもなく、 ビッグバンが嘘だという意味でもない。 むしろ、より根本的な問いだ。 観察者は誰なのか? 私たちは宇宙を説明する。 しかし、宇宙を説明している「私」とは誰なのか? 実験をしているのは誰なのか? 公式を立てているのは誰なのか? 結局、すべての科学は観察者の「意識」を通じて行われる。 ところが、現代科学は驚くほどその観察者自体を十分に説明できていない。 聖書は意識をどのように説明しているか? 創世記2章7節は、人間を非常に独特な形で説明している。 … Read more